何事も差別する人っていますよね。
何かにつけて差別する人。面倒ですが、それは面倒な人という「線引き」をしておきましょう。
しかしもっとタチ悪い人がいます。
それは人種だったり、性別だったり、宗教だったり、国籍だったり…etc
こういう人は話して解決できる人もいるかもしれないですが、差別感情の塊なので中々わかってもらえません。試しにトンカチで頭をカチ割ってから中身改造した方が早いんじゃないかと悩むレベル。面倒。
しかもイチイチ相手にするのは疲れる。
面倒くさい。どうすればいいのか?人は生きている上で生産的な活動が必要です。
別に必要ないかもしれませんが、何となく生きている実感がほしくて生産的な事を行います。何でもいいです。そして時間は有限です。自分がしたい生産的なことは限られています。
それに集中すべきですが、差別主義者が邪魔に思えて仕方ありません。邪魔な差別主義者はどうすればいいのでしょうか?答えは線引きではなく、「境界線」を引きましょう。
線ではなく「境界線」です。
なぜ境界線なのか?これには理由があります。たしかに面倒な人と一線を画すのは有効な手段です。しかし明確で絶対ではありません。頑張れば飛び越えられるのが「線」です。
では境界線は?
境界線とは絶対です。国境や排他的経済水域など、各々の資産を守るため、テリトリーを守るための絶対の線引きです。この線を侵すことは「死」にも等しい行為です。
人の中でそれはできません。
自分で国境を作ることはできないので、自分の心や相手に対しての行いとしてやる必要があります。
つまり、自分の中で差別主義者へと境界線を引くのです。絶対侵入することを許さない境界線を引くのです。
それは拒絶であり、無視のような物です。
しかし効率は圧倒的に良くなることでしょう。
もちろん何も罪もない人や、好きか嫌いかで境界線を引くのはいかがかとも思います。が、差別主義者に対しては相手をするだけ消耗してしまいます。効率的ではありません。
差別主義者には境界線を。
僕の中では、これが一番効率的かと思います。存在しているけど、存在していないように見る。一見するとタチの悪い行いですが、自分自身が精一杯できる断罪です。暴力にも等しい行為です。
やられたら悲しいですが、差別主義者に対して自分の思いを大きく行使することができる手段です。逃げるのではなく、ある意味戦う行為です。境界線であり、境界「戦」です。
圧倒的に効率的な差別への戦いです。
時間は有限です。効率的に相手と戦いながら、自分の出来る生産性のあることにリソースを集中していくことが大切だと考えます。以上。